先日、台湾映画の『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』を観てきた。
台湾映画界の巨匠・エドワード・ヤンの没後10年を記念して、今年は彼の作品が日本でよく上映されており、追悼特集の一環として『クーリンチェ殺人事件』も昨年12月から全国各地で順次公開されている。この映画は、監督エドワード・ヤンの私小説といっても良いほど、彼のバックグラウンドが多分に反映されている作品である。
作品の舞台は1960年前半の台北で、中華民国政府の圧政に対する台湾原住民の不満が噴出していた時期。
台湾を語る上で外せないキーワードが『本省人』と『外省人』だ。『本省人』はもともと台湾で暮らす人々。対して『外省人』は1949年、中国共産党の攻撃から逃れるべく、大陸から台湾に渡ってきた国民党政府の人々やその子孫を指す。
本省人にとって、ついこないだまで敵であった外省人と共生するということ。また外省人も内部にはカーストが存在しており、官僚が広い家に住む一方、平の職員レベルは零細な生活を強いられるという、生活レベルで外省人内部の階級関係は顕在していた事など、大人の闇を感じ取っている子供たちは、漠然とした不安から逃れるようにグループを組み、対立を深めていく・・。
主人公は受験に落ちた結果、中学校の夜間部に通いながら昼間部への編入を目指している『小四』という少年だが、エドワード・ヤンは夜間部に通う中学生であり、小四の境遇と重なってくる。この作品のコンセプト自体、1960年代に台湾で実際に起こった、中学生男子による同級生女子の殺人事件を基にしているとエドワード・ヤン自身語っている。
この映画にはもう一つ、大きな特徴があるのだが、それはまた次回。