言葉は、相手と意思疎通をするための道具である。日本語さえ使っていれば、多くの人に想いを伝えられるのかもしれない。しかし、同じ言葉でも、特定の相手にしか伝わらない言葉もある。時間を、記憶を、感情を共有した2人だからこそ理解できる言葉がある。それこそが最上のコミュニケーションなのかもしれない。僕をそんな考えに至らしめた作品が、住野よるの同名小説を原作とした『君の膵臓をたべたい』である。
物語は、国語教師をしている主人公の回想から始まる。高校時代のある日、読書が趣味の寡黙な主人公は、クラスの中心的存在であるヒロインの秘密を偶然知ってしまう。秘密の共有をきっかけに急接近した2人は、日常の多くの時間を共にするようになり、初めは揶揄われていると思っていた主人公も、徐々にヒロインに惹かれていく。そして、うまく気持ちを伝えられない2人の間で、「好き」でもなく「愛してる」でもなく、「君の膵臓をたべたい」が、相手を想う気持ちを表すただ一つの言葉になっていく。しかし、お互いその言葉を伝えられぬまま、思わぬ形で2人の日々は幕を閉じる。
結末を見終えた後、主人公が想いを伝える最大のチャンスであった夜の病院でのシーンがフラッシュバックした。お互いの気持ちを確かめ合うことに踏み切れず、主人公は咄嗟に「君にとって生きるってどんなこと?」と質問する。ヒロインの答えは「誰かと心を通わせること」。結末を知ったからこそ、あの時伝えられなかった言葉が胸に突き刺さる名作である。